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夜明けの翼法律事務所®
長野県長野市西後町1597-1 長野朝日八十二ビル2階
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 なお,電話相談は実施しておりません。法律相談は原則として面談にて実施しております。


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1.法律相談
2.法律事務一般
 3.裁判代理


これまで主に取り扱った分野
・企業法務,コンプライアンス関係
 ・不動産取引

借地、借家
 ・マンション管理組合関係

・建築紛争、欠陥住宅
・交通事故(損保側,被害者側とも)
・労働紛争(会社側,従業員側とも)
・消費者被害
・離婚、親権、親子問題
・遺言
・相続関係(遺産分割等)
・境界、その他近隣関係の紛争
・金銭貸借・保証トラブル
・多重債務(サラ金被害)
・自己破産,個人再生
・任意整理,過払い金請求
・犯罪被害者の支援
・ゴルフ会員権預託金返還請求
 ・ペットの法律問題

事務所の理念

弁護士には「美学」があります

だいぶカドが取れてきました。
 プロは,自分の本質や使命を見失わないために,確固とした信念を持つ必要があります。
 弁護士の使命は,弁護士法第1条及び弁護士職務基本規程第1条に高らかな規定があります。それは「基本的人権の擁護」と「社会正義の実現」です(日弁連の機関誌のタイトルも「自由と正義」 であり,弁護士の徽章・バッジも,自由と正義,公正と平等を表すデザインとなっています)。弁護士の仕事は,依頼者の人生のひだに接し,人生そのものを左右することもある,責任重大な仕事です。
そのために,弁護士は深い教養の保持と高い品性の陶冶の努力をし,法令及び法律実務に精通しなければなりません。

もっとも,具体的にどのようにその使命を果たしていくかについては,個々の弁護士に委ねられています。つまり,弁護士道はサムライ業であり,武士道のようなもので,矜持を胸に抱きつつ,自らの信条や美学,流儀に基づき,命をかけて職責を全うしているのです。旧約聖書の「箴言」には,「知恵は家を建て,七本の柱(seven pillars)を刻んで立てた。」とあります。仕事には,信条や美学からなる「柱」が必要です。

  このページで記載している弊事務所の理念は,代表弁護士なりの理念,柱であり,美学です。気がおもむくままに書き足してきたものですので,あまり脈絡もなく,理念というよりもご相談者へのメッセージになっている部分もございます。時間の許すときにお読みいただければ幸いです。

奥山のおどろが下も踏み分けて 道ある世とぞ人に知らせむ 後鳥羽院(新古今集)

明けない夜はありません~事務所名の由来~

 「夜明けの翼法律事務所」って,ずいぶん変わった名称だな?と思われた方は多いでしょう。「夜明けの翼」という表現は,日本語の叙情的で美しい響きも手伝って,人によって異なる映像や物語が膨らむようです。

実は,夜明けの翼(英語で “Wings of the dawn”)とは,旧約聖書の詩編139編9,10節に登場する言葉です。その中でダビデ王が使っている「夜明けの翼」という表現は,東雲(しののめ)のころ,夜明けの曙光が翼のように移りゆく様を詩的に描写している,といわれています。
 
 この事務所名には,私が弁護士を目指したときの青雲の志を込めています。法律事務所には,悩みや相談事を抱えた方々が沢山いらっしゃいます。そういう方にとって,すがすがしい夜明けの光と感じられるような存在でありたい,そのために,弁護士はもとより,事務員も一丸となって充実した法的援助のご提供に努力し続けたい,という思いを込めたものです(なお,「夜明けの翼法律事務所」は登録商標です)。

 夜明け前が一番暗いのです。明けない夜はありません。輝く明日は誰にもやってきます。人生は一度きりです。過去は変えられませんが,現在と未来は変えられます。困難に突き当たったときこそ,つま先立ちをして輝く明日を考えましょう。法律の諸問題は,必ずしも正解がある問題ばかりではありませんが,よりよい解決の方法は必ずあります。今,ご自分ができることに全力を尽くしましょう。日が西に沈むように,誰の人生にもやがて最期が訪れます。そのとき,「ああ,自分の人生は面白かった,生まれてきてよかった」と言えるようにしたいではありませんか。そのために,当事務所も全力で応援いたします。
 
「背のびして 大声あげて 虹を呼ぶ」 風天(渥美清さんの俳号)

夜明けの翼のデザイン

 
ロゴマークは,「夜明けの光」,「翼」,そして「wings of the dawn」を組み合わせたデザインとなっています。
また,飛ぶ鳥の形を取り入れることにより,依頼者のためにスピーディーに事件を解決したい,という願いも表しています。

「失敗」ではありません

 弊事務所には,離婚や破産を含め,様々なトラブルを抱えてこられる方が多くいらっしゃいます。そういう方の中には,「自分は失敗してしまった」と落ち込む方や,プライドをずたずたに引き裂かれた方も多くおられます。


 しかし,いろいろなトラブルに遭うことや離婚,破産などは「失敗」ではありません。人間は,どこかで自分の生き方を選ばなければなりません。こうするとうまくいかないのだ,ということが1つ分かったということは,違う選択肢を選ぶ必要性が分かったという意味で「成功」なのです。加えて,それまで分からなかった人の痛みが分かるようになったとすれば,それは大きな「進歩」なのです。


 また,人生は変化するものです。電車の旅は,途中下車や電車の乗換、路線変更をして変化を楽しむ妙味があります。途中下車をしても,乗り換えても、路線を変えても、目的地への旅は確実に進んでいます。人生も同じです。この度は,人生が良い方向に進むために「変化」したのだと考えるようにお勧めします。あなたは自分の人生の唯一のプロデューサーなのですから,あなたの人生が「変化」したことを恥じる必要はどこにもないのです。坂道を上るようになったら,ギアを落として速度を下げればよいのです。もしかしたら,あなたは変化してプライドを傷つけられたかもしれませんが,そもそも,あなたが思うほど,他の人はあなたに関心がありません。


 自分ではどうすることもできない変化があったときこそ,今自分にできることを考え,変化に対応しましょう。そうすれば,運も少し味方してくれます。割れた茶碗が「金継ぎ」の技術で芸術作品に生まれ変わるのと同じく、美しく変化することさえあるのです。

 壁のように思えるもの,それは変化するための「扉」なのかもしれません。

重要なのは「紛争を解決すること」です

 「手続保障の第三の波」で著名な井上治典博士は,「訴訟過程は静かで理性的な対論の場であり,なんとか解決点に到達することを共通の目的にした協働作業としてのコミュニケーションをはかる過程でもあるのであって,決して荒々しい言いあいの場ではないのである。当事者双方が共通の方向を目指して相互の意思疎通をはかりながら論争を展開し対話を積み上げていくからこそ,訴訟事件の大部分は和解や訴え取下で落着することになる」と書いておられます(法学教室29号21頁,1983年)。 そのため,裁判では,往々にして「和解」という解決を裁判官から勧められることがあります。

 和解とは法律用語で,互いに譲歩をして紛争を解決することを意味しています。「示談」も,多くは和解と同じ意味で使われています。刑事事件では必ず有罪か無罪となりますが,民事上の争いの多くは,双方に言い分があるなどして互いに歩み寄る余地があるため,裁判所も手抜きではなく紛争解決のために和解を強く勧めることがあるのです(重要なのは「歩み寄り」であり,「妥協」とは異なります)。

 和解の利点は,任意の履行が期待できることや,紛争を早期に柔軟に解決し,今後に後腐れを残しにくいことです。つまり,たとえ裁判で「○○円を支払え」という判決をもらったとしても,相手が素直に支払わない場合には強制執行をするしかありません。時間をかけて強制執行をしても,相手に財産がなければ空振りとなり,相手に対する恨みだけが残ります。和解であれば,進んで約束どおり支払ってもらうということが多少は期待できます。また,和解は法が予定していない内容で成立させることもできますし,希望があれば内容を非公開とすることも可能です。

 キリストは「供え物をする前にまず自分の兄弟と和解せよ」と述べています。宮澤賢治は「雨ニモマケズ」で「北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い」と書いています。一般的には,今回の紛争を良い機会にして和解して水に流し,今後は良い関係を築くほうがよい場合が多いのです。 「あんな人は許せない」という悪感情をもったままでいることは,決して心身に良い影響を及ぼしません。悪感情を燃やし続けるためには「燃料」が必要であり、その燃料をくべるために心を消耗するからです。そのために医療費を払うのは実にもったいないと思いませんか。他人のために心を騒がせ、ストレスを溜め、四六時中そのことを考えて貴重な時間を費やすほど人生は長くありません。

 なお,中には「裁判で白黒付けたい」とおっしゃる方もおられます。しかし,多くの場合,白黒を付けるというのは,最重要事項ではありません。たとえばこんな状況を考えてみてください。あなたが高速道路を走行していたところ,先方から逆送してくる車両がありました。あなたは「正しいのはこっちだ」と言ってクラクションを鳴らしながら突進するでしょうか。そのとき重要なのは,「どちらが正しいか」ではありません。むしろ「衝突を避けて身を守る」ことです。どちらが正しいかどうかはともかく,相手の逆走に気がついたなら自分のほうからハンドルを操作して,衝突を回避することを優先すべきではないでしょうか。

 最も重要なのは,「どちらが正しいか白黒をつける」ことではなく,「紛争を解決すること」です。井上博士の上述の言葉のとおり,静かで理性的な対論を通じて,解決点に到達することが目的であって,そのためには,互いに歩み寄って「和解」で解決することのほうが賢明なことが多くあるのです。相田みつをさんは「うばい合うと足らないけれど わけ合うとあまっちゃうんだなあ」と書いています。

ストレスをためない方法

 ストレスをためないということは,私たち弁護士にとっても永遠の課題です。私は比較的楽観的な性格ですが,それでもストレスを感じて眠れぬ夜を過ごすことはあります。ストレスをためないようにするために以下のようなたとえが役に立ってきました。こうしたたとえで考えると,自分を客観視することができるようになります。ストレスの渦中にいると自分を見失ってしまいますが,そのときに役立つのが,「自分を客観的に見る」という能力なのです。

 

(1)スキーやスノーボードのたとえ

 問題を抱えたときに,その問題の原因を見極めたり,同じ問題を抱えないようにするにはどうすればよいかを考えたりすることは大切なことだと思います。
でも,問題を抱えたこと自体に注意を向けすぎて,自分を責めたり他人を責めたりすると,精神的にとても苦しくなります。そのために心療内科に通うことになったという方も多くおられます。

   多くの場合,ストレスや思い患いは,問題自体というよりは問題について思い悩むことから生じます。スキーやスノーボードで重要なのは「目線」です。障害物に目線を合わせると,本当に障害物に衝突してしまいます。  そこで,問題を抱えたときには,問題自体にではなく,「問題解決」の方向に目線を向け,解決策に注意を集中するようにお勧めしています。

 

(2)船の帆のたとえ

   法律で全ての問題が解決できるわけではありませんが,それでも,どこかに解決の糸口が見いだせるときが多くあります。たとえば,嵐に見舞われた船乗りは,嵐自体を静めることはできませんが,船の帆を調節することによって嵐を切り抜けることはできます。問題に対処するために,「帆」を調節して考え方を適応させることも大切です。
   他人には話しづらい内容を私たち弁護士に話していただいているのは,ほかでもなく一緒に問題に対応できるようにするためです。どうすれば問題に対処し,解決できるのか。そのことについて,ご一緒に考えましょう。

 

(3)バックミラーのたとえ

  問題解決のためには,過去ばかりを見るのではなく,現在と将来を見ましょう。時折過去を振り返ることも大切ですが,重要なのは現在,そしてこれからです。いわゆる,レトロスペクティブ(後方視)ではなくプロスペクティブ(前方視),という考え方です。 過去を振り返ることは,ちょうど運転しながらバックミラーを見ることに似ています。バックミラーしか見ないで運転をする人はいないでしょう。前進するためには,前を見る必要があります。過去の問題にばかり気をとられるのではなく,これからどうすれば良いのかについて,ご一緒に考えましょう。過去については,数学でいえばいったん括弧にくくり,まず解決しなければならない今後の問題を考えましょう。

 

(4)雪玉のたとえ
  ストレスはある意味で坂道をコロコロと下る雪玉に似ています。そのままにしておくと、どんどん大きく重くなっていきます。ストレスという雪玉を大きくしない方法は、ある時点でその雪玉を止めることです。今思い悩むべきことでないのであれば、思い悩まずに脇によけておき、当面解決しなければならない目の前の問題の解決に取り組むのです。キリストは「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」と言っています。杉田玄白は晩年に「過ぎし世もくる世も同じ夢なれば けふの今こそ楽しかりけり」と歌っています。泣いても笑っても同じ1日です。今日この日に取り組むべき問題に全力を集中しましょう。

 

(5)登山のたとえ

 登山をする人は必ず,「頂上を見ながら登るときついが,少しだけ先の目標物を目指して一歩一歩進んでいくと,いつの間にか頂上にたどり着ける」といいます。いきなり頂上を目指すのではなく,少し先を目標にして,今できることを一歩一歩,1つずつこなしていくことです。たとえば裁判なども、昔よりは迅速になってきたとはいえ、解決は年単位になります。あまり先を見過ぎると、頂上が途方もなく先にあるように思えてストレスになりますので、とりあえずすぐ次の期日までに何をすべきか、どんな証拠を用意すべきかを一緒に考えましょう。そうすれば、そのうちに解決してしまいます。

交通事故の過失割合について

関係者の不注意

あっ危ない!!

交通事故の場合は,関係者全員に何らかの過失がある場合が多くあります。

そして事故

あらら,衝突,追突をしてしまいました。

過失割合の基準

こんなときのために,裁判所が用いている基準が,たとえば別冊判例タイムズ38号などです。これを基本に事故態様を加味して修正していきます。

和解

交通事故のような紛争は,示談交渉や訴訟等,どの手続でも,できれば早く和解したほうが得策ということが多くあります。弊事務所でも,なるべくご本人のために円満解決できるよう努力しております。

良い弁護士とは?

 弊所は,プロ意識をもって仕事をしております。
以下のような弁護士がプロとしての「良い弁護士」であると考えており,そのような理想の弁護士像に少しでも近づけるよう努力しております。

1 分かりやすい説明をする弁護士。
弁護士は,事件を引き受ける際,(1)事件の見通し(2)処理の方法(3)弁護士報酬及び費用について,ご説明をする義務が課せられています。
その際,難しいことを難しく説明するのは,本当は分かっていないことの証拠です。
プロは,人に教えることが得意か不得意かにかかわらず,難しいことを単純にして,できる限り分かりやすく説明します。
法律家しか分からないような専門用語や,カタカナ用語等を使って煙に巻くというような弁護士は,良い弁護士とはいえません。 そこで,弊事務所では,ご相談の際にできる限り分かりやすくご説明するよう心がけております。また,口頭での説明にとどまらず,「法律相談お役立ちブック」を差し上げてご説明するなどして,情報を家にお持ち帰りいただけるように努めております。事務員はあくまで秘書であり,法律的なご説明は必ず弁護士が行っております(仮にパラリーガルといわれるような経験豊富な事務員であったとしても,事務員は弁護士ではありませんので,法律的なアドバイスや事件の見通しの説明等をご説明することはございません。もし事務員が弁護士のような顔をしてそのようなことをするしたら,弁護士法に違反する可能性のある行為であり,とても危険です)。
なお,ときには,ご依頼者様が事件の委任を要望なさっても,弁護士としてお断りしなければならない事案もございます。また,弁護士と方針が異なるとか,多忙その他の理由で,お断りする場合もございます。その場合も,お断りする理由についてはきちんとご説明いたします。

2 時間を守る弁護士。
 裁判では,時間や締め切りが設けられます。
裁判の期日は時間が指定されますし,書類の提出などにも期限が設けられます。
そのような期限があるにもかかわらず,遅刻をしたり,書類の提出を遅らせたりする弁護士は,良い弁護士とはいえません。場合によっては期限に遅れたことで依頼者様に不利益をもたらすことがあるからです(裁判所の心証は明らかに悪くなりますし,期限を徒過すると取り返しがつかないものもあります)。時間にルーズな弁護士は往々にして仕事にもルーズであり,事務処理も遅く,ミスを犯しやすい傾向があります。「武士の一言」と言われるように,武士道では約束を守ることが命より重要です。弁護士道も同じです。

また,どの仕事でもいえることですが,特に法律関係は,スピーディな対応をしないと致命的になることがあります(かといって,粗雑な仕事をしてはならないことは当然です)。仕事の善し悪しは,処理速度に比例する面があります。IT社会となって,世の中はどんどんスピードが上がっています。これまで私がお目にかかった「良い仕事をする人」は,おしなべて仕事が早い人でした。そういう方は総じてIT機器を使いこなす力を含めたスキルが高く,責任感が強く,しかも朝早くから仕事をしている人でした。一方,日弁連の懲戒事例などをみると,様々な不祥事を起こす弁護士は,往々にして仕事の処理が怠慢な弁護士です。こういう人は,朝,事務所に来る時間も遅いのでしょう。
そのため,弊事務所は,普段から時間や期限を厳守し,朝早くからスピーディな対応をするよう心がけております。また,仕事内容や期限を含め,できないことをお約束することはありません。できないことはできないと申し上げます。

3 依頼者様への報告,連絡,相談を絶やさない弁護士。
 日弁連などに,「連絡が取れない」「進捗の報告がない」という苦情が寄せられる弁護士もいるようです。
異論もありますが,仕事の基本は,やはり「ホウレンソウ」です。裁判の期日のご報告,進捗のご報告などについても,依頼者様から「今どうなっているんですか」などと尋ねられるようでは遅いと思われます(依頼者様から進捗を訪ねられた際に,「担当事務員でないと分からない。事務員が今いないのでお答えできない」などと弁護士が回答するなどというのは論外です。事務員が担当していても,責任を負うのは弁護士であり,丸投げすることは許されません)。
そのため,弁護士(または事務員から),依頼者様との連絡は可能な限り密にとるようにしております。逆に,連絡が全く取れなくなってしまった依頼者様については,そのために信頼関係の維持・継続が困難となった場合には,やむなく辞任させていただく場合もございます。
なお,弁護士は外出が多い関係で,メールでの連絡ですと,より速やかにやりとりをさせていただけるものと存じます。

4 強く優しい弁護士。
「強くなくては生きていけない,優しくなければ生きていく資格がない」というのは,有名なレイモンド・チャンドラーの小説の台詞です。 弁護士も,強くなければ弁護ができません。優しくなければ弁護士をする資格がありません。
孔子の「論語」にも,「義を見てせざるは勇なきなり」とあります。キリストも,優しさと強さを兼ね備えた人でした。「正義を勝利に導くまで,彼は傷ついた葦を折らず,くすぶる灯心を消さない。」といわれ,虐げられた人々の抱く希望の最後の火を消さない優しい人でしたが,神殿にいた両替屋の台を倒して義憤を示したこともありました。
正義を貫くためには,強い勇気が必要です。他の弁護士や先輩弁護士に対してであっても,礼儀をわきまえつつ,言わなければならないことははっきり言う必要もあります。占領下でマッカーサーにはっきり物を言ったことで有名な白洲次郎のように,言うべきことは誰に対しても敬意を込めながらはっきり言うべきです。依頼者を犠牲にして同業者同士でかばい合ったりなれ合ったりするなどということは,プロの弁護士としてあってはいけないことです(決して無頼を気取っているわけではありませんが,板谷はムラ社会のような部分が苦手であり,他の弁護士とは適度な距離を置くようにしております)。

もっとも,勇気があるということと感情を露わにすることとは違います。良い弁護士は,熱い心と冷静な頭で,感情的にならずに対応します(交渉ごとはカッとなった方の負け,とよく言われます)。依頼者と喜怒哀楽を共にしますが,感情的にはなりません。弁護士が功を焦り,冷静さを欠いてしまったり,マスコミの報道に引きずられてしまったりすると,熱心のあまり社会的に行き過ぎた行為をしてしまう危険があり,それは依頼者様にも良い結果にはなりません。自制することも強さの現れです。
冷静に対応できているか否かは,特に裁判で提出する書面や尋問での言葉遣いに如実に表れます。私も自戒していることですが,特に若手弁護士は,裁判で有利に導こうとして(あるいは,依頼者へのアピールのため),時に感情的で剣で突き刺すかのような攻撃的な言葉を使うことがあります。また,必要もない部分で「求釈明」を連発し,相手がそれに応じないと「相手はその部分を認めたと判断する」などという揚げ足をとったり,挑発的な文章を記載したりする弁護士もいます。
しかし,それは裁判官の心証には必ずしも良い影響を与えません。数年前,ある裁判長が,尋問が終わった後の和解の席で,私に「板谷先生。勝ち筋の事件だと分かっているなら,もっと横綱相撲をとらなきゃ」とおっしゃったのが印象的でした。確かにそのとき,私は今となっては反省するような厳しい内容かつ厳しい言葉遣いでの反対尋問を行ったのでした。その裁判は,ほぼ当方の主張を認めた内容での和解で終了しましたが,裁判官があえて若手の私にアドバイスを加えてくださったことは,とても強い印象となって残りました。

重要なのは紛争を解決することであり,相手方や相手方代理人に対していちいちカリカリして感情的になることは,相手の思うつぼであり,相手と同じレベルになってしまうということです。準備書面による主張は,相手に対するものではなく,裁判官に対するものです。相手の理不尽な主張に心乱されず,目線は相手にではなく紛争解決に向けて春の雨のように穏やかに対応する,これも強さの表れです。このように紳士的に対応することにより,相手方が「敵ながらあっぱれ」と思ってくれることさえあります。

依頼者様のご要望に適切にお答えできるよう,強く優しい弁護士となることを目指します。

5 絶えず向上を目指す弁護士。
 「自分はあることについて知識を習得したと考える人がいるなら,その人はまだ,知るべきほどにもそれを知っていない」という言葉が聖書にあります。
プロの弁護士にとって,「これだけ知識を習得したから十分だ」などということはありません。死ぬまで謙虚に勉強しつづけなければなりません。分からないことは徹底的に調べなければなりません。調べれば調べるほど,自分がいかに管見であったかを思い知らされます。そのため,どれだけ経験を積んでも,謙虚に調査する努力が必要となります。本当に物事を分かっているベテラン弁護士は,若手に対しても偉ぶったり先輩風を吹かせたりはしません。一方,修習期の上下や人口に膾炙する判決の獲得で尊大になったり,逆に媚びへつらったりする弁護士は,結局そこまでの人なのでしょう。

また,弁護士はトラブル(事件)を解決することが仕事です。事件を解決するためには,事件を分かっていることが必要なのはもちろんですが,それ以上に「人間」というものを分かっている必要があります。民事事件は和解で解決するのが最善である場合が多いですが,満足のいく和解内容で解決に導くためには,人間というものを分かっていなければなりません。人間を分かるためには,経験に加えて血のにじむような努力が必要です。

さらに,弁護士は医師と同じく,最新の法律知識に精通していなければなりません。法律の世界は,絶えず変化しています。弁護士職務基本規程7条では,弁護士について「教養を深め,研鑽に努めなければならない」と記載されています。野村克也さんは,著書で「プロ意識」のことを,「恥の意識」と同義だと述べています。「プロなのにそんなことも知らないのか」といわれないよう,常に「プロとして恥ずかしい」という意識を持って専門知識を身につけることが必要という趣旨です。本当に,おっしゃるとおりです。

そのような努力を惜しむ弁護士は,良い弁護士とはいえません。良い弁護士は,安易にネット情報に頼らず,費用を惜しまず文献を購入し,きちんと収納し,労を惜しまず調査し,学習します(仮に弁護士の本棚を見られたとすれば,どのような弁護士なのか一発で分かるでしょう。書式やマニュアルの類の書物しか並んでいないようであれば危険です。良い弁護士は,たとえ忙しくても最新の体系書や注釈書,判例解説の勉強を怠らず,手垢と書き込みで真っ黒にします。そのような努力を怠る弁護士は,仮に営業上手でも肝心な自己研鑽ができておらず,依頼者に迷惑をかけるおそれがあります)。夏に遊び呆けたキリギリスは冬を越せないのです。
また,良い弁護士は絶対に手を抜くことはせず,どうすればよりよい結果をもたらせるかを一生懸命考え,工夫します。弁護士はかつて「代言人」といわれたとおり,依頼者の思いや感情を咀嚼して法的に整理し,相手方や裁判官を説得する仕事です。AIの時代になっても,機械的な作業だけで満足せず,関係者のお話を一生懸命に聞く努力をします。

  私も十分できているとは到底いえません。絶えず努力して向上を目指す弁護士でありたいと思っております。

来られる前よりも幸福に

 マザー・テレサは「あなたのところに来る人を誰ひとり,来る前より幸福にせずに立ち去らせてはいけません」と述べました。私も,相談者様や依頼者様が帰りのドアを押すときは,来られる前よりも少しでも幸せになっていただけるような弁護士でありたいと思っています。
 
 もちろん,弁護士としてできることには限りがあります。ご相談いただいたからといって,必ずご期待に添えるわけではありません。

  たとえば,法律家は法律,道理,常識というルールから外れることはできませんから,そうしたルールに照らすと,ご要望が通らない場合もあります。弁護士が目指すのは「法の観点からみて適切な結果」です(もちろん,それが依頼者のご希望とそぐわない場合には,依頼者様の納得がゆくように丁寧にご説明します。それでも方針が異なる場合には,辞任させていただく場合もあります)。また,証拠裁判主義ですから,相手が裁判で主張しているのは事実と違うが,こちらの主張には証拠がないという場合,実際の事実とは違う認定がなされて,負けてしまうこともあります(そういう場合,裁判官は,中間的な解決はできず,一刀両断に判断しなければなりません。そのため,「これこれの供述をするが,信用できない」と言われてしまうことになります)。

  さらに,交通事故や犯罪被害などにあった場合,相手からお金を取り戻すだけでは気持ちが収まらないという場合がありますが,お金を取り戻すことはおろか,裁判で勝っても相手が無資力のためにお金を取り戻すことすらできない,という場合も少なくありません。
 
  しかし私は,弁護士として,できる限りのお手伝いをしたい,事務所に来られる前よりも少しでも幸せになっていただきたい,と思っています。そのためにも,是非1度ご相談ください。輝く明日のために,できることは何なのかをご一緒に考えましょう。

「かすみ草」のような事務所に

  「かすみ草」は,花束の中でも引き立て役に徹します。
もちろん,かすみ草だけでも十分可愛いのですが,花束の中では,主役になることなく,引き立て役になります。

  私たち弁護士も,依頼者の皆様の「引き立て役」にすぎません。どんな事件でも,主役は弁護士ではなく,依頼者様ご自身です。 視覚障害者のマラソンでいえば、弁護士はランナーとともに走る伴走者のような存在です。受賞するランナーは依頼者ご自身です。自動車でいえば、弁護士はぺちゃんこになってクルマを下から持ち上げるジャッキのような存在で、クルマは依頼者様ご自身です。
 弊事務所においでになる皆様が,現実を認識し,勇敢に現実と取り組めるように力づけられ,帰りのドアを開けてからは人生の主役として幸せに歩き出せるようにサポートするのが私たちの仕事です。私たちは,「最高の引き立て役」「最高の脇役」「最高の足軽」になれるよう,努力しています。

 渉外事件や知財事件,企業法務に特化した都心の大規模事務所で働く弁護士と違い,私たちのような地方の小さな事務所で一般市民の皆様の依頼をお受けする弁護士のことを「町弁(マチベン)」と呼びます。私たちは地元密着の町弁として,依頼者の皆様の引き立て役になることに誇りを持っております。孫子の兵法には,「兵は多きを益とするに非ざるなり」という言葉があります。独立開業していろいろな事件を経験し,弁護士の人数の多い事務所が必ずしも有利とは限らないと実感するようになってきました。
 
 依頼者の皆様に「板谷に頼んで良かった」「余人をもって代え難し」と言っていただけるよう,また事件の相手方には「板谷に頼みたかった」と言ってもらえるよう,コツコツと努力していく所存です。

「我々は同じ戦いを戦っています。我々はいま,みんな同じ塹壕にいるのです。」
-ニューヨーク州 アンドリュー・クオモ知事の言葉

法律学とは

 私たち実務家は,偉大な研究者である先人の業績のおこぼれを頂いて仕事をしています。特に私のような浅学非才の田舎弁護士は,せっせと諸先輩方の著した書物や判例集,判例評釈等を集めて研究し,少しでもそれらの法律学を眼の前の事件の解決に活かすように努力することしかできません。
 
 私が近年感動したのは,池田眞朗慶應義塾大学名誉教授の「法解釈は,『説』に拠ってするものではない。根拠のある説得的な解釈をどう探求するかという作業のはずである。池田は何説に属するかという議論に対して,私が端的にお答えするのはこの1行である。」という言葉です(「ボワソナードとその民法」388頁及びその註の390頁)。法律学とは,このように静かに火花を散らす学問なのです。

 私も,懸命に努力して,根拠のある説得的な書面を作成したいと感じております。

私の宝物

「あの道も この道も 夜明けの為の道」
  2013年12月,ある案件が終了したときに,依頼者様から頂戴した書です。相談室に飾ってあります。
  依頼者様の考えた言葉を,お知り合いの書家さんに書いてもらったものだそうで,素敵な額に入れてプレゼントしてくださいました。事件解決までの依頼者様の様々な思いが凝縮された重い言葉であり,このような言葉をいただけたのは,まさに弁護士冥利に尽きるというものです。
  仕事でちょっと疲れたとき,決断を迫られたとき,辛いことがあったときなどに,私は何度となくこの書を見て励まされ,背中を押してもらってきました。

  その依頼者様は,2018年9月に亡くなりました。
  生前に賜った数々のご厚情に,深く感謝申し上げます。どうぞ安らかにお眠りください。
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