事務所の理念
弁護士には「美学」があります
もっとも,具体的にどのようにその使命を果たしていくかについては,個々の弁護士に委ねられています。つまり,弁護士道はサムライ業であり,武士道のようなもので,矜持を胸に抱きつつ,自らの信条や美学,流儀に基づき,命をかけて職責を全うしているのです。旧約聖書の「箴言」には,「知恵は家を建て,七本の柱(seven pillars)を刻んで立てた。」とあります。仕事には,信条や美学からなる「柱」が必要なのです。
このページで記載している弊事務所の理念は,代表弁護士なりの理念,柱であり,美学です。気がおもむくままに書き足してきたものですので,あまり脈絡もなく,理念というよりもご相談者へのメッセージになっている部分もございます。時間の許すときにお読みいただければ幸いです。
明けない夜はありません~事務所名の由来~
実は,夜明けの翼(英語で “Wings of the dawn”)とは,旧約聖書の詩編139編9,10節に登場する言葉です。その中でダビデ王が使っている「夜明けの翼」という表現は,東雲(しののめ)のころ,夜明けの曙光が翼のように移りゆく様を詩的に描写している,といわれています。
夜明け前が一番暗いのです。明けない夜はありません。輝く明日は誰にもやってきます。人生は一度きりです。過去は変えられませんが,現在と未来は変えられます。困難に突き当たったときこそ,つま先立ちをして輝く明日を考えましょう。法律の諸問題は,必ずしも正解がある問題ばかりではありませんが,よりよい解決の方法は必ずあります。今,ご自分ができることに全力を尽くしましょう。日が西に沈むように,誰の人生にもやがて最期が訪れます。そのとき,「ああ,自分の人生は面白かった,生まれてきてよかった」と言えるようにしたいではありませんか。そのために,当事務所も全力で応援いたします。
夜明けの翼のデザイン
「失敗」ではありません
弊事務所には,離婚や破産を含め,様々なトラブルを抱えてこられる方が多くいらっしゃいます。そういう方の中には,「自分は失敗してしまった」と落ち込む方や,プライドをずたずたに引き裂かれた方も多くおられます。
しかし,いろいろなトラブルに遭うことや離婚,破産などは「失敗」ではありません。人間は,どこかで自分の生き方を選ばなければなりません。こうすると自分の希望する方向には行きにくい,ということが1つ分かったということは,違う選択肢を選ぶ必要性が分かったという意味で「成功」なのです。加えて,それまで分からなかった人の痛みが分かるようになったとすれば,それは大きな「進歩」なのです。深い河は静かに流れます。人に見える派手な進歩ばかりが本当の進歩ではありません。背伸びせず、等身大でゆったり生きていけばよいのです。
また,人生は変化するものです。電車の旅は,途中下車や電車の乗換、路線変更をして変化を楽しむ妙味があります。途中下車をしても,乗り換えても、路線を変えても、目的地への旅は確実に進んでいます。人生も同じです。この度は,人生が良い方向に進むために「変化」したのだと考えるようにお勧めします。あなたは自分の人生の唯一のプロデューサーなのですから,あなたの人生が「変化」したことを恥じる必要はどこにもありません。坂道を上るようになったら,ギアを落として速度を下げればよいのです。途中で立ち止まって景色を眺めてもいいのです。寄り道をして、面白そうであればそこにしばらくとどまってもよいのです。もしかしたら,あなたは変化してプライドを傷つけられたかもしれませんが,そもそも,あなたが思うほど,他の人はあなたに関心がありません。お節介で残念な人から何か言われたら、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と言い返してやればいいのです。
自分ではどうすることもできない変化があったときこそ,今自分にできることを考え,変化を楽しむくらいの気持ちで柔軟に対応しましょう。仮に辛い思いをしたとしても「ありがたい。むしろこの程度で済んでよかった」と前向きに努力すれば、運も少し味方してくれます。
割れた茶碗が「金継ぎ」の技術で芸術作品に生まれ変わるのと同じく、美しく変化することさえあります。重く冷たい雪に耐えた雪中野菜は甘く変化します。あなたが法律事務所のホームページを覗いていることは、変化するために状況をコントロールし始めていることの証しです。壁のように思えるものも,変化するための「扉」にすることができるのです。
重要なのは「紛争を解決すること」です
ストレスをためない方法
ストレスをためないということは,私たち弁護士にとっても永遠の課題です。「患う」という字は、心に串(突き刺すもの)が刺さっている状態から成り立っています。私は比較的楽観的な性格ですが,それでもストレスを感じて心に串が刺さり、眠れぬ夜を過ごすことはあります。しかし、極力ストレスをためないようにするために以下のようなたとえが役に立ってきました。
こうしたたとえで考えると,自分を客観視することができるようになります。ストレスの渦中にいると自分を見失ってしまいますが,そのときに役立つのが,「自分を客観的に見る」という能力なのです。
(1)スキーやスノーボードのたとえ
問題を抱えたときに,その問題の原因を見極めたり,同じ問題を抱えないようにするにはどうすればよいかを考えたりすることは大切なことだと思います。でも,問題を抱えたこと自体に注意を向けすぎて,自分を責めたり他人を責めたりすると,精神的にとても苦しくなります。そのために心療内科に通うことになったという方も多くおられます。
多くの場合,ストレスや思い患いは,問題自体というよりは問題について思い悩むことから生じます。スキーやスノーボードで重要なのは「目線」です。障害物に目線を合わせると,本当に障害物に衝突してしまいます。そこで,問題を抱えたときには,過去の問題自体にではなく,未来の「問題解決」の方向に目線を向け,解決策に注意を集中するようにお勧めしています。
(2)船の帆のたとえ
法律で全ての問題が解決できるわけではありませんが,それでも,どこかに解決の糸口が見いだせるときが多くあります。たとえば,嵐に見舞われた船乗りは,嵐自体を静めることはできませんが,船の帆を調節することによって嵐を切り抜けることはできます。問題に対処するために,「帆」を調節して考え方を適応させることも大切です。
他人には話しづらい内容を私たち弁護士に話していただいているのは,ほかでもなく一緒に問題に対応できるようにするためです。どうすれば問題に対処し,解決できるのか。そのことについて,ご一緒に考えましょう。
(3)バックミラーのたとえ
問題解決のためには,過去ばかりを見るのではなく,現在と将来を見ましょう。時折過去を振り返ることも大切ですが,重要なのは現在,そしてこれからです。いわゆる,レトロスペクティブ(後方視)ではなくプロスペクティブ(前方視),という考え方です。 過去を振り返ることは,ちょうど運転しながらバックミラーを見ることに似ています。バックミラーしか見ないで運転をする人はいないでしょう。過去のことについてこだわるのは、年末に今年のカレンダーをもらうのと同じくらい意味のないことです。前進するためには,前を見る必要があります。過去の問題にばかり気をとられるのではなく,これからどうすれば良いのかについて,ご一緒に考えましょう。過去については,数学でいえばいったん括弧にくくり,まず解決しなければならない今後の問題を考えましょう。
(4)雪玉のたとえ
ストレスはある意味で坂道をコロコロと下る雪玉に似ています。そのままにしておくと、どんどん大きく重くなっていきます。ストレスという雪玉を大きくしない方法は、ある時点でその雪玉を止めることです。今思い悩むべきことでないのであれば、思い悩まずに脇によけておき、当面解決しなければならない目の前の問題の解決に取り組むのです。キリストは「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」と言っています。杉田玄白は晩年に「過ぎし世もくる世も同じ夢なれば けふの今こそ楽しかりけり」と歌っています。泣いても笑っても同じ1日です。今日この日に取り組むべき問題に全力を集中しましょう。
(5)登山のたとえ
登山をする人は必ず,「頂上を見ながら登るときついが,少しだけ先の目標物を目指して一歩一歩進んでいくと,いつの間にか頂上にたどり着ける」といいます。いきなり頂上を目指すのではなく,少し先を目標にして,今できることを一歩一歩,1つずつこなしていくことです。長年会社やお店を経営してこられた方々のお話を伺うと、共通しているのは「もちろん大変なときもあったけど、そのときは目の前の仕事に無我夢中だった」ということです。たとえば裁判なども、昔よりは迅速になってきたとはいえ、解決は年単位になります。あまり先を見過ぎると、頂上が途方もなく先にあるように思えてストレスになりますので、とりあえずすぐ次の期日までに何をすべきか、どんな証拠を用意すべきかを一緒に考えましょう。無我夢中で目の前の課題に挑戦していれば、そのうちに解決してしまいます。
交通事故の過失割合について
良い弁護士とは?
以下のような弁護士がプロとしての「良い弁護士」であると考えており,そのような理想の弁護士像に少しでも近づけるよう努力しております。
1 分かりやすい説明をする弁護士。
その際,難しいことを難しく説明するのは,本当は分かっていないことの証拠です。プロは,難しいことを単純にして,できる限り分かりやすく説明します。法律家しか分からないような専門用語や業界用語、カタカナ用語等を使って煙に巻くというような弁護士は,良い弁護士とはいえません。「イネーブラーのケイパビリティとエンゲージメントを向上させてパーパス経営をレジリエントでナラティブに」などという、安っぽい講師が使うような言葉は、「寝耳にウォーター」程度の価値しかありません。そのため、弊事務所では,ご相談の際にできる限り分かりやすくご説明するよう心がけております。
2 時間を守る弁護士。
裁判では,時間や締め切りが設けられます。
裁判の期日は時間が指定されますし,書類の提出などにも期限が設けられます。
そのような期限があるにもかかわらず,遅刻をしたり,書類の提出を遅らせたりする弁護士は,良い弁護士とはいえません。場合によっては期限に遅れたことで依頼者様に不利益をもたらすことがあるからです(裁判所の心証は明らかに悪くなりますし,期限を徒過すると取り返しがつかないものもあります)。時間にルーズな弁護士は往々にして仕事にもルーズであり,事務処理も遅く,ミスを犯しやすい傾向があります。「武士の一言」と言われるように,武士道では約束を守ることが命より重要です。弁護士道も同じです。
3 依頼者様への報告,連絡,相談を絶やさない弁護士。
日弁連などに,「連絡が取れない」「進捗の報告がない」という苦情が寄せられる弁護士もいるようです。
丁寧な仕事の基本は,やはり「ホウレンソウ」です。裁判の期日のご報告,進捗のご報告などについても,依頼者様から「今どうなっているんですか」などと尋ねられるようでは遅いと思われます(依頼者様から進捗を訪ねられた際に,「担当事務員でないと分からない。事務員が今いないのでお答えできない」などと弁護士が回答するなどというのは論外です。事務員が担当していても,依頼者に対して責任を負うのは弁護士であり,丸投げすることは許されません。弁護士の事務所がバーチャルオフィスで登録していて、実際に事務所に行っても面談できないなどというのも論外です。弁護士はそのようなバーチャルオフィスでの開業はそもそもできません)。
4 強く優しい弁護士。
「強くなくては生きていけない,優しくなければ生きていく資格がない」というのは,有名なレイモンド・チャンドラーの小説の台詞です。 弁護士も,強くなければ弁護ができません。優しくなければ弁護士をする資格がありません。「優」という漢字は、憂いに沈んだ人の傍らに立つ人を表しています。傍らに立って慰め、励ます人が優しい人であり、優れた人なのです。
孔子の「論語」にも,「義を見てせざるは勇なきなり」とあります。キリストも,優しさと強さを兼ね備えた人でした。「正義を勝利に導くまで,彼は傷ついた葦を折らず,くすぶる灯心を消さない。」といわれ,虐げられた人々の抱く希望の最後の火を消さない優しい人でしたが,神殿にいた両替屋の台を倒して義憤を示したこともありました。
正義を貫くためには,ときにはファーストペンギンのような勇敢さを要します。他の弁護士や先輩弁護士に対してであっても,礼儀をわきまえつつ,言わなければならないことははっきり言う必要もあります。占領下でマッカーサーにはっきり物を言ったことで有名な白洲次郎のように,言うべきことは誰に対しても敬意を込めながらはっきり言うべきです。依頼者を犠牲にして同業者同士でかばい合ったり、なれ合ったりするなどということは、プロの弁護士としてあってはいけないことです(決して無頼を気取っているわけではありませんが,板谷はムラ社会のような部分が苦手であり,他の弁護士とは適度な距離を置くようにしております。相手が先輩弁護士であろうと、懲戒請求をすべきと考えたときには請求しております)。
もっとも,勇気があるということと感情を露わにすることとは違います。良い弁護士は,熱い心と冷静な頭で,感情的にならずに対応します(交渉事はカッとなった方の負けです)。依頼者と喜怒哀楽を共にしますが,感情的にはなりません。弁護士が功を焦り,冷静さを欠いたり,マスコミの報道に引きずられたりすると,熱心のあまり社会的に行き過ぎた行為をしてしまう危険があり,それは依頼者様にも良い結果にはなりません。自制することも強さの現れです。高名な弁護士の中にも、電話の途中で怒りを爆発させて電話をガチャ切りしてしまうような人もおられましたが、それは本当の大人物とはいえません。キケロは、「礼儀正しい、決して腹を立てない人物が大人物と呼ぶにふさわしい」と述べています。
冷静に対応できているか否かは,特に裁判で提出する書面や尋問での言葉遣いに如実に表れます。裁判で優位に立とうとして、あるいは依頼者へのアピールのため,時に感情的で剣で突き刺すかのような攻撃的な言葉を使う弁護士がいます。また,不必要な「求釈明」を連発して揚げ足をとったり,裁判所に提出する公の書面であるにもかかわらず挑発的な文章を記載したり、居丈高になったり虚勢を張ったりする弁護士もいます。
しかし,それは裁判官の心証には必ずしも良い影響を与えません。数年前,ある裁判長が,尋問が終わった後の和解の席で,私に「板谷さん。勝ち筋の事件だと分かっているなら,もっと横綱相撲をとらなきゃ」とおっしゃったのが印象的でした。確かにそのとき,私は今となっては反省するような厳しい内容かつ厳しい言葉遣いでの反対尋問を行ったのでした。その裁判は,ほぼ当方の主張を認めた内容での和解で終了しましたが,裁判官があえて若手の私にアドバイスを加えてくださったことは,とても強い印象となって残りました。
重要なのは紛争を解決することであり,相手方や相手方代理人に対していちいちカリカリして感情的になることは,相手の思うつぼであり,相手と同じレベルになってしまうということです。深い川は静かに流れます。相手の理不尽な主張に心乱されず,目線は相手にではなく紛争解決に向けて春の雨のように穏やかに対応する,これも強さの表れです。このように紳士的に対応することにより,相手方が「敵ながらあっぱれ」と思ってくれることさえあります。
依頼者様のご要望に適切にお答えできるよう,強く優しい弁護士となることを目指します。
「自分はあることについて知識を習得したと考える人がいるなら,その人はまだ,知るべきほどにもそれを知っていない」という言葉が新約聖書にあります。プロとアマチュアの違いは、継続的に結果を出し続けられるかどうかです。どんなに大規模な法律事務所や弁護士法人に所属していようと、マチベンの1人事務所であろうと、プロは最終的には1人で頑張らなければなりません(人生も経営も一人旅です。良き伴侶やチームに支えられながら、最終的には「個」の努力が必要です)。
プロの弁護士にとって,「これだけ知識を習得したから十分だ」などということはありません。死ぬまで謙虚に勉強しつづけなければなりません。分からないことは徹底的に調べなければなりません。調べれば調べるほど,自分がいかに管見であったかを思い知らされます。そのため,どれだけ経験を積んでも,謙虚に調査する努力が必要となります。本当に物事を分かっているベテラン弁護士は,若手に対して偉ぶったり先輩風を吹かせたりはせず、むしろ話していると、若手であっても将来大物の弁護士になれそうな気分にさえしてくれます。一方,修習期の上下や人口に膾炙する判決の獲得で尊大になったり,逆に媚びへつらったりする弁護士は,結局そこまでの人なのでしょう。
また,弁護士はトラブル(事件)を解決することが仕事です。事件を解決するためには,事件を分かっていることが必要なのはもちろんですが,それ以上に「人間」というものを分かっている必要があります。民事事件は和解で解決するのが最善である場合が多いですが,満足のいく和解内容で解決に導くためには,人間というものを分かっていなければなりません。人間を分かるためには,経験に加えて血のにじむような努力が必要です。
さらに,弁護士は医師と同じく,最新の法律知識に精通していなければなりません。法律の世界は,絶えず変化しています。弁護士職務基本規程7条では,弁護士について「教養を深め,研鑽に努めなければならない」と記載されています。野村克也さんは,著書で「プロ意識」のことを,「恥の意識」と同義だと述べています。「プロなのにそんなことも知らないのか」といわれないよう,常に「プロとして恥ずかしい」という意識を持って専門知識を身につけることが必要という趣旨です。
そのような努力を惜しむ弁護士は,良い弁護士とはいえません。ある人の人間性や資質は,その人がどこにお金を使うかで判別されます。良い弁護士は,安易にネット情報に頼らず,費用を惜しまず文献を購入し,きちんと収納し,労を惜しまず調査し,学習します。仮に弁護士の本棚を見ることができたとして、書式やマニュアルの類の書物しか並んでいないようであれば危険です。良い弁護士は,たとえ忙しくても最新の体系書や注釈書,判例解説の入手と勉強を怠らず,手垢と書き込みで真っ黒にします。人任せにせず、「フライ球は自分が捕る」という気概で守備をします。そのような自己投資や努力を怠る弁護士は,仮に営業上手でも肝心な自己研鑽ができておらず,依頼者に迷惑をかけるおそれがあります。夏に遊び呆けたキリギリスは冬を越せないのです。
私も十分できているとは到底いえません。絶えず努力して向上を目指し、「板谷に任せてよかった」といわれる弁護士でありたいと思っております。
落語「ねずみ」と弁護士
来られる前よりも幸福に
「かすみ草」のような事務所に
もちろん,かすみ草だけでも十分可愛いのですが,花束の中では,主役になることなく,引き立て役になります。
私たち弁護士にとっては、どんな事件でも,主役は弁護士ではなく依頼者様ご自身です。 視覚障害者のマラソンでいえば、弁護士はランナーとともに走る伴走者のような存在です。受賞するランナーは依頼者ご自身です。自動車でいえば、弁護士はぺちゃんこになってクルマを下から持ち上げるジャッキのような存在で、クルマは依頼者様ご自身です。